ぼうえんきょう座は18世紀に設定された比較的新しい星座であるため、古代ギリシア神話や伝説とは無関係です。フランスの天文学者ニコラ・ルイ・ド・ラカイユによって1750年代に考案されたこの星座は、17世紀に発明された天体観測用の望遠鏡をモチーフにしています。
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ラカイユは1751年から1752年にかけて南アフリカのケープタウンで南天の星図作りを行い、その際に14個もの新しい星座を設定しました。これらの星座はすべて、けんびきょう座、はちぶんぎ座、コンパス座、とけい座など、科学道具や実験器具をモチーフにした実用的なものばかりです。18世紀は天文学において望遠鏡の活躍が素晴らしく、数々の新発見がなされた時代でした。ラカイユが望遠鏡を星座にしたのは、このような科学技術の発展という時代背景があったからだと考えられます。
参考)http://yumis.net/space/star/south/tel.htm
神話を持たない星座というのは、天文学の歴史において比較的珍しい存在です。古代から受け継がれてきた星座の多くが物語性を持つのに対し、ぼうえんきょう座は純粋に科学的な道具を称えるために作られた点で特徴的です。
参考)http://azfa2.jp/tenmondai/hosinoshasin/seiza/natu/telescopium.html
ぼうえんきょう座は3等星から5等星の暗い星で構成されており、とくに目立つ天体はありません。星座全体は縦に細長い下向きの五角形をしており、さそり座の南側、さいだん座とみなみのかんむり座の間に位置しています。
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最も明るい星はぼうえんきょう座α(アルファ)星で、視等級3.47等の青白色の準巨星です。この星はぼうえんきょう座で唯一の3等星であり、スペクトル分類はB3IV型に分類されています。地球からの距離は約278光年で、ヒッパルコス星表では内因性の変光星である可能性が指摘されています。しかし、2022年4月現在、国際天文学連合(IAU)が認証した固有名を持つ恒星はぼうえんきょう座には1つもありません。
参考)ぼうえんきょう座 - Wikipedia
α星以外はすべて4等星以下の暗い星ばかりで、星座を構成する星は約50個とされています。このため、ぼうえんきょう座は肉眼で見つけるのが非常に難しい星座の1つとなっています。また、この星座にはぼうえんきょう座PV型変光星という青色超巨星も含まれており、脈動変光星の分類の1つの代表星として知られています。
ぼうえんきょう座は南天の星座で、概略位置は赤経19時、赤緯マイナス52度に位置しています。日本からの観測では、石垣島や宮古島などの南の地域でないと全体の姿をとらえることができません。9月初めの宵に南中し、20時南中は9月2日頃となります。
参考)https://seiza.imagestyle.biz/minami/bouenkyou.shtml
星座を見つけるには、まずいて座の南斗六星を確認することから始めます。南斗六星の南端の星からいて座のβ星を確認し、次にさそり座の尻尾の曲がり角にある2等星サルガスを探します。いて座のβ星とサルガスを結んだ線のちょうど中程にある3等星が、ぼうえんきょう座のα星です。このα星を起点として、西と南に90度の角度で4~5等星が1つずつあり、それらを結んで三角形を作ることができます。
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南中高度は東京からでは約4度と非常に低く、ほとんど地平線付近にしか現れません。そのため、観測条件が良い南半球、特にシドニー近郊などでの観測が推奨されます。また、近くにはくじゃく座の2等星ピーコックが輝いているため、この明るい星を目印にして探すという方法もあります。
ニコラ・ルイ・ド・ラカイユは、ぼうえんきょう座を含む14個もの星座を設定した天文学者として知られています。彼が設定した星座はすべて、17世紀から18世紀に発明された科学機器や実験道具をモチーフにした、いわば「科学道具シリーズ」です。
ラカイユが設定した星座には、けんびきょう座(顕微鏡)、らしんばん座(羅針盤)、レチクル座(十字線)、とけい座(時計)、はちぶんぎ座(八分儀)、コンパス座、じょうぎ座(定規)、ちょうこくぐ座(彫刻具)、ちょうこくしつ座(彫刻室)、テーブルさん座(テーブル山)、ポンプ座、ろ座(炉)、がか座(画架)などがあります。これらはすべて、当時の最先端科学技術や芸術道具を星空に配置したものです。
ラカイユがモチーフにした望遠鏡は、当時主流であった非常に長い鏡筒を持つ屈折望遠鏡でした。当時の望遠鏡は精度の低いレンズを用いていたため、焦点距離を延ばすことで色収差を低減させる必要がありました。そのため、ラカイユが1756年に刊行したフランス科学アカデミーの紀要に掲載された星図では、現在のぼうえんきょう座よりも大きく細長い領域が描かれていました。当初はいて座η星がβ、さそり座G星がγ、へびつかい座45番星がθとギリシア文字の符号が付けられるなど、他の星座の間を縫うように細長い領域が考えられていました。
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その後、1845年にイギリスの天文学者フランシス・ベイリーが刊行した『British Association Catalogue』や、1879年にアメリカの天文学者ベンジャミン・グールドが刊行した『Uranometria Argentina』でその領域が切り取られたことで、現在のぼうえんきょう座はβ星やγ星のない星座となりました。このような歴史的な変遷を経て、ぼうえんきょう座は現在の252平方度という面積になっています。
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ぼうえんきょう座は南天の星座として、いくつかの興味深い星座に囲まれています。北側にはさそり座といて座という黄道十二星座が位置し、東側にはけんびきょう座、南側にはインディアン座、くじゃく座、西側にはさいだん座とみなみのかんむり座が隣接しています。
特に注目すべきは、みなみのかんむり座との位置関係です。みなみのかんむり座は4等星以下の暗い星から描かれている星座ですが、星をたどるのはそれほど難しくありません。いて座の隣、南斗六星の近くにあるため、これを頼りに見つけることができます。みなみのかんむり座を見つけることができれば、そのすぐ南に接しているぼうえんきょう座を探すことが可能になります。
また、くじゃく座のα星ピーコックは2等星で明るく輝いているため、この辺りでは目に留まる重要な目印となります。ピーコックを基準にして、そこから北西方向を探すことで、ぼうえんきょう座の位置を推定することができます。
さいだん座も近くに位置していますが、この星座は少し見つけにくいため、初心者にはみなみのかんむり座を目印にする方法が推奨されます。ぼうえんきょう座自体も4等星以下の暗い星からできていますが、望遠鏡の鏡筒のような細長い形をしているため、星座図を参考にしながら探すと識別しやすくなります。
天の川の中に位置するため、暗い夜空では周囲の星々が豊富に見え、星座を探す楽しみが増します。ただし、東京などの北緯の高い地域からは南中高度が極めて低く、ほぼ地平線付近にしか現れないため、南の地平線が開けた場所での観測が必須となります。
ぼうえんきょう座は暗い星ばかりで目立たない星座ですが、天文学の歴史において重要な意義を持っています。この星座は、18世紀という科学革命の時代に、天文学が急速に発展していった様子を象徴的に表現しています。望遠鏡の発明は1600年代にさかのぼりますが、18世紀になると技術が飛躍的に向上し、数々の天体発見が相次ぎました。
ラカイユが南天観測のためにケープタウンに赴いたこと自体が、当時としては画期的な試みでした。彼は1751年から1752年にかけて約1万個もの星を観測し、南天の詳細な星図を作成しました。この功績により、それまで詳しく調べられていなかった南半球の星空が、初めて体系的に整理されることになりました。
参考)ぼうえんきょう座の話|閏賀みつき
現代では、ぼうえんきょう座の領域にもさまざまな深宇宙天体が観測されています。暗い星座であるからこそ、背景の銀河や星雲を観測するのに適した領域となっており、大型望遠鏡による観測対象として重要な位置を占めています。また、ぼうえんきょう座PV型変光星のように、この星座が特定の天体分類の代表星を含んでいることも、天文学研究において意義深いことです。
さらに、ぼうえんきょう座は現代の88星座の1つとして正式に認定されており、国際天文学連合(IAU)による星座の境界線も明確に定められています。学名はTelescopium、略符はTelと定められており、全天で57位の広さ(約252平方度)を持つ星座として登録されています。
この星座は、神話や伝説に頼らず、純粋に科学技術の進歩を称えるために作られた点で、伝統的な星座文化とは異なる新しい価値観を示しています。古代から受け継がれてきた星座の世界に、近代科学の視点が加わったことを象徴する存在として、ぼうえんきょう座は天文学史上特別な位置づけを持っているのです。
参考)【星座夜話 67/88 ぼうえんきょう座】|ほーんら