夏の夜空に輝くヘルクレス座は、残念ながら1等星や2等星といった明るい星がないため、都会の空では見つけるのが少し難しいかもしれません 。しかし、いくつかの目印を知っていれば、比較的簡単に見つけることができます。
最もわかりやすい目印は、夏の大三角です。こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブを結んでできる大きな三角形を見つけたら、ベガの近くに目を向けてみましょう。ヘルクレス座は、ベガと、うしかい座のアークトゥルスの間に位置しています 。
ヘルクレス座のα星であるラスアルゲティは、3.5等星なので肉眼でも条件が良ければ見ることができます 。へびつかい座の頭に輝く2等星「ラサルハグェ」のすぐ近くに並んで見えるので、まずは明るいラサルハグェを探し、その隣にある少し暗い星がラスアルゲティだと覚えておくと良いでしょう 。「ひざまずく者の頭」を意味する名前の通り、星座絵では逆さまになった英雄ヘルクレスの頭の部分に輝いています 。
さて、このラスアルゲティが美しい二重星であることは、望遠鏡を使って初めてわかります 。
望遠鏡の倍率を少しずつ上げていくと、寄り添うように輝く二つの星の姿がはっきりと見えてきます。その色の対比の美しさに、きっとあなたも心を奪われることでしょう。初めて天体望遠鏡を覗くという方にも、ぜひ挑戦してほしい天体の一つです。
以下のリンクは、国立天文台が提供する星座図です。ヘルクレス座の位置を確認するのに役立ちます。
参考リンク:国立天文台 ほしぞら情報 ヘルクレス座
ラスアルゲティを望遠鏡で観測すると、多くの人がその美しい色の対比に驚かされます。主星であるラスアルゲティAは燃えるような赤色、そしてそのすぐそばに寄り添う伴星ラスアルゲティBは、まるで宝石のような青みがかった緑色(エメラルドグリーン)に見えるのです 。この色の組み合わせから、「天井の宝石」と称されるはくちょう座のアルビレオと並び、全天で最も美しい二重星の一つとして多くの天文ファンに愛されています 。
では、なぜこの二つの星はこれほどまでに違う色に見えるのでしょうか。
主星が赤いのは、その星が「赤色超巨星」という種類の星だからです 。赤色超巨星は、星の一生の最終段階にある年老いた星で、表面温度が低いために赤く見えます。太陽の直径の約400倍もの大きさを持つ非常に巨大な星です 。オリオン座のベテルギウスも同じ赤色超巨星の仲間です 。
一方、伴星の色については少し不思議な点があります。伴星ラスアルゲティBの実際のスペクトル型(星の表面温度に基づく分類)から判断すると、本来は黄色っぽい色をしていると考えられています 。それなのに、なぜ私たちの目には青緑色に見えるのでしょうか?
その答えは、人間の目の「錯覚」にあると言われています。
これは「色の対比効果」と呼ばれる現象です。非常に鮮やかな赤い星(主星)のすぐ隣に、それよりは暗い黄色の星(伴星)があると、私たちの脳は無意識にその色を補色(反対色)である青緑色に近い色として認識してしまうのです。赤の補色は青緑(シアン)であるため、本来は黄色いはずの伴星が、まるでエメラルドグリーンのように見えてしまうというわけです。
実際に伴星の色が何色に見えるかは、観測者や望遠鏡の性能によって「黄色」「青」「緑」など、さまざまな報告があり、それもまたラスアルゲティの魅力の一つとなっています 。
赤と青緑の対比は、クリスマスのイルミネーションのようでもあり、夜空に浮かぶ小さな宝石のようでもあります。この色の謎を知った上で観測すると、その美しさがより一層深く感じられるのではないでしょうか。
ラスアルゲティ(Rasalgethi)という少し変わった響きの名前は、アラビア語の「ラース・アル・ジャーティー(Rās al-Jāthī)」に由来します 。これは「ひざまずく者の頭」という意味です 。
古代ギリシャでは、この星座は特定の英雄ではなく、単に「ひざまずく者(The Kneeler)」と呼ばれていました 。夜空で逆さまになり、片膝をついているように見える姿から、その名がつけられたのです。ラスアルゲティは、その姿の頭の部分に位置するため、このような名前で呼ばれるようになりました 。後に、この星座はギリシャ神話最大の英雄ヘラクレスの姿と結びつけられ、「ヘルクレス座」という名前が定着しました 。
🏛️ 英雄ヘラクレスの物語
ヘラクレスは、大神ゼウスと人間の女性アルクメネの間に生まれた半神半人の英雄です 。ゼウスの妻である女神ヘラの嫉妬によって、ヘラクレスは様々な試練を課せられます。その中でも特に有名なのが「12の功業」と呼ばれる冒険譚です。
これらの功業はほんの一部であり、ヘラクレスは数々の困難を乗り越え、その強さと勇気によって神々に認められ、死後、天に昇って星座になることを許されたと言われています 。夜空に輝くヘルクレス座の姿は、数々の冒険に挑む英雄の雄々しい姿を今に伝えているのです。
ラスアルゲティという星の名前一つをとっても、古代アラビアの天文学からギリシャ神話へと至る、壮大な歴史の流れを感じることができますね。
ラスアルゲティは、美しい二重星であると同時に、「変光星」というもう一つの顔を持っています 。変光星とは、その名の通り、時間とともに明るさが変化する星のことです。
ラスアルゲティの明るさは、約90日ほどの周期で2.7等から4.0等までの間を不規則に変化します 。この変動は肉眼でも捉えることが可能ですが、等級の変化が比較的小さく、周期も不規則なため、注意深く観測しないと気づきにくいかもしれません。
なぜ、ラスアルゲティの明るさは変わるのでしょうか?
これは、主星であるラスアルゲティAが赤色超巨星であり、星自体が非常に不安定な状態にあるためです 。星の内部で起こる核融合反応のエネルギーが一定ではなく、星全体がまるで心臓のように膨らんだり縮んだりする「脈動」を繰り返しています。このタイプの変光星は「半規則型脈動変光星」に分類されます 。
この膨張と収縮の繰り返しが、ラスアルゲティの明るさの変化として観測されるのです。
ラスアルゲティは、太陽の約400倍もの直径を持つ、とてつもなく巨大な星です 。もし太陽系の中心にラスアルゲティを置いたとしたら、その表面は火星の軌道近くにまで達してしまいます。これほど巨大な星が、不安定に脈動を繰り返しながら、今まさに燃え尽きようとしている終末期の姿を、私たちは見ているのです。
ただ美しいだけでなく、星の進化のダイナミックな一面を垣間見せてくれる天体。それがラスアルゲティのもう一つの魅力と言えるでしょう。
ラスアルゲティにまつわる話は、ギリシャ神話だけにとどまりません。実は、古代中国の天文学においても、この星は非常に重要な役割を担っていました。ギリシャやアラビアとは全く異なる視点から、この星がどのように見られていたのかを知ると、夜空を眺める楽しみがさらに深まるはずです。
古代中国では、ラスアルゲティは天の皇帝である「天帝」が座る玉座、すなわち「帝座(ていざ)」だと考えられていました 。
中国の星座体系は「三垣二十八宿」と呼ばれ、天の北極を中心とする「紫微垣(しびえん)」は天帝が住む宮殿と見なされていました。そして、そのすぐ近くにあるヘルクレス座の領域は、天帝が政治を行う場所と考えられていたのです。その中心に輝くラスアルゲティが、天帝の玉座「帝座」とされたのは、ごく自然なことだったのでしょう。
🐉 「客星、帝座を侵す」という不吉な知らせ
帝座は天帝の権威の象徴であり、国家の安泰を占う上で極めて重要な星でした。そのため、この帝座の近くで通常とは異なる天文現象が起こると、それは天帝の身に危険が迫っている、あるいは国家に災いが起こる前触れだと考えられ、人々を恐れさせました 。
これらの「客星」が帝座の近くに現れる現象は、「客星、帝座を侵す」と呼ばれ、皇帝の暗殺や反乱、戦争といった国家的な凶事の兆候として、非常に不吉なこととされました 。そのため、古代中国の天文学者たちは、昼夜を問わず帝座の周辺を監視し、わずかな変化も見逃さないように記録し続けたのです。
ギリシャ神話では英雄の頭とされる星が、中国では天帝の玉座と見なされていたという事実は、非常に興味深いと思いませんか? ラスアルゲティが持つ二重星としての物理的な特徴だけでなく、異なる文化圏で育まれた多様な物語や伝説に思いを馳せながら観測することで、一つの星から無限の宇宙の広がりを感じることができるでしょう。