舞台は午前二時という深夜。この時間帯は「草木も眠る丑三時」と表現される、最も静寂に包まれた時刻です。主人公は望遠鏡を担いで踏切へ向かいます。「踏切」という選定も独特で、人生の選択や岐路を象徴する場所として機能しています。
二分後、「君」が現れます。大袈裟な荷物を背負った君の姿は、何かから逃げてきたのか、それとも冒険に向かう覚悟を決めた姿なのか、聴き手に様々な想像の余地を与えます。ベルトに結んだラジオ、雨は降らないという天気予報。細部に至るまで、物語として成立する具体性が存在することが、この曲の特徴です。
「ほうき星」とは彗星のこと。数年ごと、あるいは数十年ごとにしか地球の近くを通過しない、極めて稀な天体です。歌詞では「イマというほうき星」と表現されます。ここが極めて重要。ほうき星そのものが「イマ=現在」を意味しているのです。
彗星は一瞬の輝きで知られています。永遠に同じ位置にある恒星とは異なり、儚く消えていく存在です。つまり「イマというほうき星を追いかける」とは、刻々と変わる「今この瞬間」を追い求め、全力で生きることを意味します。過去に囚われず、未来を恐れず、現在に集中する。その美学が、この楽曲全体に通底しています。
作詞の藤原基央は複数の媒体で「天体観測は雨の歌である」と明言しています。これは非常に示唆的です。なぜなら、歌詞では「雨は降らないらしい」と天気予報が流れるのに、実は望遠鏡を通して見えるはずの星空は「見えないモノを見ようとしている」と表現されるからです。
ここに隠れた真実があります。望遠鏡の先には、物理的な星々だけではなく、人生そのものの不確実性が映っているのです。雨が降るかもしれない予報外れ。見えると思った景色が見えない現実。人間が求める答えの大半は、最後まで見えません。にもかかわらず、主人公は「君」とともに探り続ける。その行為こそが、この曲の本質です。
「君」は実在する特定の人物なのか、それとも象徴的存在なのか。歌詞を読むと、その答えは曖昧に保たれています。これが作品の強みです。「君」は恋人かもしれませんし、失った夢の象徴かもしれません。あるいは、かつての自分自身を表しているのかもしれません。
最後の歌詞「二分後に君が来なくても」は、極めて深刻です。待ち合わせの相手が来ないという状況。にもかかわらず「始めようか天体観測」と主人公は呟きます。一人でも、「イマというほうき星」を追いかけることを止めないという決意が感じられます。人間関係が変わっても、人生の現在という瞬間を全力で生きることの尊さが、ここに表現されています。
ラストの歌詞に登場する「背が伸びるにつれて」は、子どもから大人への成長過程を指します。子どもの頃は「伝えたい事も増えてった」と純粋な想いを抱いていても、やがて多くを失い、単純さを失っていくのが人間です。
「宛名の無い手紙も崩れる程重なった」という表現は、送れない手紙が積み重なっていく状況を表現しています。言えなかったこと、伝えられなかった思いが蓄積していく人生の悲しさです。にもかかわらず「僕は元気でいるよ心配事も少ないよ」と括弧付きで述べられるのは、虚勢なのか、それとも本当の達観なのか。その曖昧性が、多くのリスナーに深い共感をもたらしています。
参考リンク:BUMP OF CHICKENの公式情報源として、歌詞の背景や作詞者の意図を学べます
歌ネット「天体観測」歌詞ページ
参考リンク:藤原基央による直接的な作品解説が掲載されている記事です
楽曲解説:天体観測 藤原基央が"全ての哲学を込めた"歌詞の意味
参考リンク:複数の視点から歌詞全体を分析している詳細な考察記事
BUMP OF CHICKEN「天体観測」歌詞の意味を解釈!実は...