レチクル座は1756年にフランスの天文学者ニコラ・ルイ・ド・ラカーユによって設定された新しい星座であるため、古代ギリシャ神話や伝説は一切存在しません。ラカーユは南半球の星空を詳細に観測し、当時の科学技術の進歩を反映する形で複数の星座を新たに設定しました。
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彼が設定した星座は、顕微鏡座、コンパス座、定規座、時計座、八分儀座、望遠鏡座など、科学道具をモチーフとしたものが多く、レチクル座もその一つです。「レチクル(レティクル)」とは、天体望遠鏡の接眼レンズの焦点面に張られる照準線のことで、恒星の位置観測を行う際に視野の中心を示したり視野を分割するために使用されます。
参考)レチクル座 - Wikipedia
ラカーユが愛用した天体望遠鏡に張られていた「ひし形のレチクル」が星座のモデルとなっており、当初は「le Reticule Romboide(ひし形のレチクル)」というフランス語の名称が付けられていました。その後ラテン語化されて「Reticulus Rhomboidalis」となり、さらに省略されて「Reticulus」、最終的に現在の中性形「Reticulum」に変化しました。日本では1940年代から1960年代頃まで「小網座」と呼ばれていた時期もありました。
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レチクル座は3等星以下の暗い星から構成されており、小さくこじんまりとまとまった星座です。レチクル座には固有名を持つ恒星は存在せず、約20個の肉眼で見える星で構成されています。
参考)レチクル座|やさしい88星座図鑑
レチクル座α星は、レチクル座の中で最も明るい恒星で、視等級3.36の3等星です。この星はレチクル座唯一の3等星で、連星系を形成していると考えられています。固有名は付けられていませんが、星座内の目印となる重要な天体です。スペクトル型はG7IIIで、約163光年の距離にあります。
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レチクル座β星は、視等級3.84の4等星で、レチクル座で2番目に明るく見える恒星です。この星は三重星系であり、分光連星としても知られています。主星は橙色巨星で、スペクトル型はK0IV、約100光年の距離にあります。レチクル座β星は太陽に対して約69.2 km/sの速度で銀河系内を運動しており、銀河系の中心から10,100光年から24,200光年離れています。興味深いことに、約31万9000年前には太陽に最も近く67光年まで接近し、その時は2.98等級まで明るくなっていました。
参考)レチクル座ベータ星 - Wikipedia
レチクル座ε星は視等級4.44の橙色巨星で、約59光年の距離にあります。この星の周囲には系外惑星が発見されており、惑星系を持つ恒星として注目されています。
レチクル座ζ星は、二つの星から成る二重星系で、主星と伴星のどちらも太陽に似た恒星であると考えられています。ζ1星の視等級は5.54、ζ2星は5.24で、肉眼でも二つの星を分離して見ることができます。二つの恒星の離角は309.2秒(5.2分)で、実際の距離は約3,710天文単位、公転周期は17万年以上と推定されています。
参考)レチクル座ゼータ星とは - わかりやすく解説 Weblio辞…
レチクル座には、いくつかの興味深い深宇宙天体が存在します。最も注目すべきはNGC1559で、レチクル座α星の近くに位置する棒渦巻銀河です。NGC1559はレチクル座の方向、約3500万光年の距離にあり、夜空では大マゼラン銀河のすぐ近くに見えます。
参考)ウェッブ望遠鏡がとらえた孤独な棒渦巻銀河NGC 1559
NGC1559の渦状腕では活発な星形成が起きており、ピンク色の星形成領域が特徴的です。ハッブル宇宙望遠鏡の観測では、明るい赤色やピンク色の領域が星形成領域として輝いており、新しい星からの大量の紫外線によって電離した水素ガスが光っています。ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡も2024年にこの銀河を撮影し、MIRI(中間赤外線装置)とNIRCam(近赤外線カメラ)を組み合わせた詳細な画像を提供しました。この銀河を観察するには、口径7.5cm前後の望遠鏡を用意することが推奨されます。
参考)ピンク色の星形成領域がきらめく棒渦巻銀河NGC 1559 ハ…
NGC1313は、とけい座、みずへび座との境界近くに位置する棒渦巻銀河で、レチクル座の領域内で観測できます。また、NGC1543はε星のそばに位置する楕円銀河として知られています。
参考)https://www.7key.jp/data/constellation/ret.html
レチクル座の観測には、小さなひし形の星の並びが目印となります。大マゼラン雲の近くにあるこのひし形を探すと、レチクル座を見つけやすくなります。ただし、レチクル座は南天の星座であるため、日本では沖縄などの南の地域以外ではほとんど見ることができません。南半球の国々では広く知られた星座で、南緯30度から60度の間で最もよく観測できます。
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ウェッブ望遠鏡によるNGC1559の詳細画像と星形成の解説
レチクル座の見つけ方と観測ポイントの総合ガイド
レチクル座の名前の由来となった「レチクル(レティクル)」は、天文学者にとって非常に重要な観測道具です。天体望遠鏡で恒星の位置観測を行う場合、接眼レンズの焦点面に十字に切られた線や網目状のパターンを張ることで、視野の中心を正確に示したり、視野を分割することができます。
参考)「レチクル座」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio…
ラカーユが使用していた望遠鏡では、ひし形にレチクルが張られていました。この照準器は、天体の正確な位置測定や複数の天体の相対的な配置を記録する際に不可欠な装置でした。18世紀の天文学において、精密な位置観測は極めて重要な課題であり、レチクルはその精度を大幅に向上させる技術でした。
ラカーユがこの道具を星座として設定した背景には、天文観測における技術革新への敬意と、南半球の星空を体系的に記録するという使命感がありました。彼は南アフリカのケープタウンで1751年から1753年にかけて南天の星々を観測し、約10,000個の恒星の位置を測定しました。この膨大な作業において、レチクル付きの望遠鏡は彼の最も信頼できる相棒でした。
現代の望遠鏡や双眼鏡、さらには銃の照準器にも使用されるレチクルは、ラカーユの時代から基本的な原理は変わっていません。天文学者だけでなく、測量技師や軍事関係者など、精密な方向決定が必要な多くの分野で今でも使用されています。
ラカーユが設定した星座群は、18世紀の科学革命を反映した独特のコレクションです。レチクル座と同様に、彼が設定した星座には以下のようなものがあります。
参考)https://x.com/uchujin17/status/1953358383505096827
🔬 顕微鏡座(Microscopium):顕微鏡を象徴し、微小な世界を探求する科学の進歩を表現しています。
📐 コンパス座とじょうぎ座(Circinus、Norma):幾何学的な測定道具を象徴し、精密な測量技術の発展を示しています。
⏰ 時計座(Horologium):振り子時計を象徴し、当時の最先端技術である精密時計製造の重要性を反映しています。
🧭 羅針盤座(Pyxis):航海における方向決定の重要性を示しています。
🔭 望遠鏡座(Telescopium):天体観測の主要道具である望遠鏡そのものを星座にしました。
📏 八分儀座(Octans):航海や天文観測で使用される角度測定器具を象徴しています。
これらの星座は、神話や伝説ではなく、科学技術の実用的な道具に基づいているという点で、古代から伝わる伝統的な星座とは一線を画しています。ラカーユの意図は、古代の神話的な世界観から脱却し、啓蒙時代の合理主義と科学的進歩を夜空に記録することでした。
| 星座名 | モチーフ | 科学分野 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| レチクル座 | 照準器 | 天文観測 | ひし形の形状、3等星が1個 |
| 顕微鏡座 | 顕微鏡 | 生物学・医学 | 微小世界の探求を象徴 |
| 時計座 | 振り子時計 | 精密機械 | 時間測定技術の発展を示す |
| 望遠鏡座 | 望遠鏡 | 天文学 | 観測道具そのものを星座化 |
これらの科学道具星座は、いずれも南半球でしか観測できないか、観測しにくい位置にあります。これは、ラカーユが南アフリカで観測を行った際に、当時ヨーロッパから見えなかった南天の星空を体系化する過程で設定したためです。彼の業績により、南半球の人々も自分たちの星空を理解し、航海や時間の測定に役立てることができるようになりました。
レチクル座を含むこれらの星座は、神話的な物語性はありませんが、人類の知的探求と科学技術の発展という、別の種類の壮大な物語を夜空に刻んでいます。現代の天文学者や星座愛好家にとって、これらの星座は18世紀の科学革命という歴史的瞬間を思い起こさせる貴重な記念碑となっています。