じょうぎ座は18世紀半ばにフランスの天文学者ニコラ=ルイ・ド・ラカイユによって新たに設定された星座であり、ギリシア神話や古代の伝説には一切登場しません。ラカイユは1752年から1753年にかけて南アフリカのケープタウンに滞在し、南天の星空を詳細に観測した結果、それまで「どの星座にも属していない星」として扱われていた星々を整理して新しい星座を設定しました。
参考)https://ryutao.main.jp/mythology_47.html
ラカイユが設定した星座には、科学道具や測量器具をモチーフにしたものが多く、じょうぎ座もその一つです。1756年に刊行された星図では、フランス語で指矩と直定規を意味する「l'Équerre et la Règle」という名称が記されており、航海中の測量技師が使う直角定規と直定規を組み合わせた形が描かれています。その後1763年に刊行された著書『Coelum australe stelliferum』では、ラテン語で短縮した「Norma」という呼称に変更されました。
参考)じょうぎ座ってどんな星座?【神話も紹介】
古代からの星座は神話や伝説と深く結びついていますが、じょうぎ座のような新設星座は実用的な道具を星空に配置することで、当時の科学技術の発展を称える意図があったと考えられます。ラカイユは他にもコンパス座、ぼうえんきょう座、はちぶんぎ座など、合計14の南天星座を設定し、大航海時代を支えた測量・観測技術を星座として残したのです。
参考)じょうぎ座|やさしい88星座図鑑
じょうぎ座を構成する星は、すべて4等星以下の暗い星ばかりで、肉眼での観測が非常に困難な星座の一つです。興味深いことに、じょうぎ座にはα星(アルファ星)とβ星(ベータ星)が存在しません。これは、星座同士の境界を決定した際に、もともとじょうぎ座のα星とβ星とされていた星が、隣接するさそり座の星の一部として統合されてしまったためです。
参考)じょうぎ座 - Wikipedia
じょうぎ座で最も明るい星は、じょうぎ座γ2星(ガンマ2星)で、視等級4.02等の橙色巨星です。この星は地球から約129光年の距離にあり、半径は太陽の10〜12倍、質量は太陽の2.16倍、表面温度は約4,699Kで、太陽の約51倍の光度を持っています。肉眼でもかろうじて観望できる明るさですが、天の川の中に位置しているため、周囲の恒星や星間物質と区別するのは容易ではありません。
参考)じょうぎ座ガンマ2星とは - わかりやすく解説 Weblio…
じょうぎ座のすぐ近くには、γ1星という黄色超巨星も存在しますが、視等級は4.97等とさらに暗く、γ2星よりも遥か遠方に位置しています。その他の恒星も5等星以下がほとんどで、星座の形を想像することは実質的に不可能といえるでしょう。肉眼で確認できる星の数は約40個程度ですが、これらは天の川の光に埋もれてしまい、アルファベットのPの字、あるいは旗のような不規則なラインを形作っているとされています。
参考)じょうぎ座とは?見つけ方や見どころ
じょうぎ座は天の川の中に位置しているため、多数の星雲や星団が集中している魅力的な星域です。その中でも特に注目されるのが、散開星団NGC6087(カルドウェル89)で、じょうぎ座の散開星団の中で最も明るく大きな天体です。この散開星団は視等級5.4等で、約40個の7〜8等級の星を含み、最も明るい星は6.5等級のじょうぎ座S星(変光星)です。
参考)https://turupura.com/season/south/nor.htm
NGC6087は地球から約3,500光年の距離にあり、視直径は約12分角(満月の約3分の1)の範囲に広がっています。南半球の観測地では肉眼でも天の川が少し濃くなったように見えることがあり、双眼鏡を使えばより明瞭に星団らしい姿を捉えることができます。天体望遠鏡で観測すると、微光星を背景にした100個以上の星々が密集する姿は圧巻で、散開星団特有の美しさを堪能できます。
参考)NGC 6087 - Wikipedia
じょうぎ座にはNGC6087以外にも、NGC6067という散開星団が存在します。こちらも双眼鏡や天体望遠鏡での観測に適しており、天の川の濃淡の中に浮かぶ星の集団として楽しむことができます。日本からは地平線すれすれにしか見えないため観測条件は厳しいですが、沖縄や奄美諸島などの南西諸島では星座の全体像とともにこれらの散開星団を観測できる可能性があります。
参考)http://yumis.net/space/star/south/nor.htm
NGC6087の詳細な観測データ(Wikipedia)
散開星団NGC6087の位置、等級、距離、含まれる恒星の詳細情報が掲載されています。
じょうぎ座の方向には、「アリ星雲」(Ant Nebula)という愛称で呼ばれる特異な惑星状星雲が存在します。正式名称はMz 3(Menzel 3)で、地球から約8,900光年の距離にある若い惑星状星雲です。その形状がアリの頭部と胸部に似ていることから、この愛称が付けられました。
参考)アリ星雲 - Wikipedia
アリ星雲は双極性星雲に分類される天体で、中心に共生星があるとされています。共生星とは、赤色巨星と白色矮星が互いに近接して公転する連星系のことで、この特殊な環境が双極性の形状を生み出す要因になっていると考えられています。天体望遠鏡で観測すると、中心から両側に広がるガスの噴出が確認でき、その形状は非常にドラマチックです。さらに、アリ星雲の中心部からは強力な赤外線レーザーが放射されていることが明らかになっており、惑星状星雲の進化過程を研究する上で貴重な観測対象となっています。
参考)あり星雲からの珍しいレーザー放射 - アストロアーツ
じょうぎ座の領域には、他にもじょうぎ座銀河団という大規模な銀河の集団が存在します。これはじょうぎ座とみなみのさんかく座の境界付近の方向に位置し、天の川銀河から約2億2000万光年という遥か彼方にある銀河団で、多数の銀河が重力で結びついた巨大な天体集団です。このように、じょうぎ座は小さく暗い星座ですが、その領域には多様で魅力的な天体が数多く隠されているのです。
アリ星雲の形成過程と観測画像(Wikipedia)
アリ星雲の双極性構造の詳細と、ハッブル宇宙望遠鏡による観測画像が紹介されています。
じょうぎ座は南半球の星座であり、日本から観測するには非常に困難な条件が伴います。じょうぎ座の概略位置は、赤経16時00分、赤緯マイナス50度で、面積は約165平方度(全天88星座中74位)です。日本本土からは星座の北側半分程度しか地平線上に現れず、しかも地平線すれすれという低い位置にしか昇りません。
じょうぎ座を探す際の目印となるのは、さそり座α星のアンタレスと、ケンタウルス座α星のリギル・ケンタウルスという二つの明るい1等星です。この2つの恒星のちょうど真ん中あたりに、椅子を横から見たような形、あるいはアルファベットのPの字に似た形で描かれているのがじょうぎ座です。しかし、構成する星がすべて4等星以下であるため、たとえ目印の星を見つけても、じょうぎ座そのものを判別するのは至難の業といえます。
日本で全体像を観測できるのは、沖縄県の十島村以南、つまり奄美諸島や沖縄本島などの南西諸島に限られます。これらの地域では、7月中旬から下旬にかけての20時頃に南中し、地平線からの高度は約4〜5度程度になります。観測には、南の空が開けた場所で、大気の透明度が高い晴天の夜を選ぶことが重要です。双眼鏡や天体望遠鏡を使えば、暗い星々や散開星団NGC6087などの天体も確認しやすくなります。
オーストラリアやニュージーランドなどの南半球では、じょうぎ座は天高く昇るため格段に観測しやすくなります。夏の時期(日本の冬に相当)には、さそり座やケンタウルス座とともに天頂近くまで昇り、天の川の中に浮かぶ小さな星座の姿をはっきりと確認できるでしょう。
| 観測地 | 観測可能範囲 | 最適な時期 | 南中高度 |
|---|---|---|---|
| 日本本土(東京など) | 北側半分のみ | 7月中旬〜下旬 | 約4〜5度 |
| 沖縄・奄美諸島 | 全体像 | 7月中旬〜下旬 | 約5〜10度 |
| オーストラリア | 天頂近く | 6月〜8月(現地の冬) | 60度以上 |
じょうぎ座は天の川の中に位置しており、周囲を多くの有名な星座に囲まれています。北側には夏の代表的な星座であるさそり座があり、その明るい赤色超巨星アンタレスは、じょうぎ座を探す際の重要な目印となります。西側にはさいだん座(祭壇座)やくじゃく座(孔雀座)が輝き、東側にはおおかみ座やケンタウルス座が広がっています。南側にはみなみのさんかく座やコンパス座などの小さな星座が隣接しており、これらの星座の隙間を埋めるように配置されているのがじょうぎ座です。
ラカイユが設定した当時、この星域は「どの星座にも属していない星」として扱われていました。古代ギリシアの天文学者プトレマイオスの『アルマゲスト』でも、おおかみ座とさいだん座の間にある未分類の星として記録されていたため、ラカイユはこの空白地帯に測量道具をモチーフにした星座を配置することで、星図を完成させたのです。興味深いことに、じょうぎ座のすぐ隣にはコンパス座という星座もあり、こちらも同じくラカイユが設定した測量器具の星座です。
参考)じょうぎ座とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書
天の川銀河の中心方向に近いこの領域は、星間物質や星雲、星団が非常に豊富な星域として知られています。そのため、じょうぎ座そのものは暗く目立たない星座ですが、天体望遠鏡や双眼鏡を使った観測では、背景の天の川の光と無数の散開星団、星雲が織りなす美しい光景を楽しむことができます。この位置関係から、じょうぎ座は単独で観測するよりも、周囲の明るい星座とともに、天の川の壮大な流れの一部として楽しむのが最適といえるでしょう。