ヨハン・バイエル(Johann Bayer、1572-1625)は、ドイツの法律家でありながら天文学に情熱を注いだ人物です。1603年に彼が出版した星図『ウラノメトリア』は、世界で初めての全天星図として天文学史に大きな足跡を残しました。この星図で用いられた恒星の命名法が「バイエル符号」として現代まで受け継がれています。
バイエル符号は、各星座の恒星にギリシャ文字を割り当てる体系的な命名法です。基本的には星座ごとに明るい星から順にα(アルファ)、β(ベータ)、γ(ガンマ)というようにギリシャ文字を付けていきます。例えば、全天で最も明るい恒星シリウスは「おおいぬ座α星」と表記されます。ギリシャ文字24文字を使い切った場合は、ラテン文字の大文字A、その後小文字のb、c、d…と続けていく仕組みになっています。
この命名法の革新性は、それまで混乱していた恒星の呼び方を統一し、世界中の天文学者が共通の言語で星を識別できるようにした点にあります。バイエルは先行する星表やティコ・ブラーエの観測記録を参照してウラノメトリアを作成し、約2000個の恒星に符号を付けました。この体系は400年以上経った現在でも天文学の基礎として使われ続けています。
『ウラノメトリア』は1603年にアウグスブルクで出版された、縦34cm×横24cmの51枚の星図から成る書物です。この星図には、従来の48星座に加えて、バイエルが新たに設定した南天の12星座を含む計60の星座が収録されました。各星図には星座の絵と共に、右半分に恒星のバイエル符号や位置、光度が詳細に記されています。
バイエルは、デンマークの天文学者ティコ・ブラーエ(1546-1601)の観測データを主要な情報源として活用しました。ティコは天体望遠鏡が発明される前の時代に、肉眼観測の限界を克服すべく大型の六分儀や象限儀を設計し、当時最良の観測よりも5倍ほど正確なデータを残しました。彼の観測記録は、ウラノメトリアの精度を大きく高める基盤となったのです。
ウラノメトリアの特徴は、その正確性と網羅性にあります。北半球から観測できる星座だけでなく、南半球の航海士たちの記録に基づいて南天の星座も体系化しました。この星図は美しい銅版画で描かれ、芸術的価値も高く評価されています。バイエルの作品は、科学と芸術が融合した17世紀初頭の知的成果の結晶と言えるでしょう。
ウラノメトリアの詳細な歴史と影響について(Wikipedia)
ヨハン・バイエルがウラノメトリアで新たに追加した南天の12星座は、以下の通りです。
これらの星座は、16世紀から17世紀にかけて南半球を航海したオランダやポルトガルの航海士たちの記録に基づいています。バイエルは、オランダの航海士ピーテル・ディルクスゾーン・ケイセルとフレデリック・デ・ハウトマンが観測した南天の星々の情報を参考にしました。この12星座は「南天12星座」「バイエル星座」とも呼ばれ、現在では国際天文学連合(IAU)が定める88星座の一部として正式に認められています。
興味深いことに、これらの星座には古代ギリシャ神話のような伝説や物語がほとんどありません。これは大航海時代という新しい時代精神を反映しており、実際に観測された動植物や探検で出会った文化をそのまま星座名にしたためです。
バイエル符号の興味深い特徴として、必ずしも明るさの順番通りにギリシャ文字が割り当てられていないという点があります。例えば、ふたご座ではポルックス(β星、1.15等)の方がカストル(α星、1.59等)よりも明るいのに、カストルがα星とされています。また、りゅう座では、最輝星のγ星(2.23等)よりもα星(3.68等)の方が暗い星です。
この「例外」が生じた理由はいくつか考えられます。第一に、バイエルの時代には写真などの正確な測定方法がなく、肉眼での観測に頼っていたため、微妙な明るさの違いを正確に判定することが困難でした。第二に、変光星の存在がまだ知られておらず、観測時期によって明るさが変化する星があることが認識されていませんでした。
第三の理由として、バイエルは単純な明るさだけでなく、星座内での位置や星の配置を考慮して符号を付けたという説があります。例えば、オリオン座の三つ星は全て2等星ですが、オリオンの頭側の端から順にδ星、ε星、ζ星と符号が付けられています。これは位置的な配置を優先した結果と考えられます。
さらに、ふたご座のケースでは、ギリシャ神話における双子の兄カストルを尊重してα星に選んだという文化的背景もあったとされています。このように、バイエル符号には天文学的データだけでなく、歴史的・文化的な要素も反映されているのです。
ヨハン・バイエルの業績は、現代の天文学に計り知れない影響を与えています。彼が確立したバイエル符号は、400年以上経った現在でも世界中の天文学者、アマチュア天文家、プラネタリウム、星図アプリなどで標準的に使用されています。
バイエルの後、18世紀のイギリスの天文学者ジョン・フラムスティードは、バイエル符号を補完する形で「フラムスティード番号」を考案しました。これは星座内の恒星に西から東へ番号を付ける方式です。明るい恒星は両方の符号を持つケースが多いですが、一般的にはバイエル符号が優先して呼ばれています。例えば、ベガは「こと座3番星」というフラムスティード番号も持ちますが、「こと座α星」として知られています。
バイエルの星図は、その後の天文学者たちにとって重要な基準となりました。ティコ・ブラーエの観測データをバイエルが体系化し、それをヨハネス・ケプラーが分析して「ケプラーの法則」を発見するという、科学の発展における連鎖反応の一部となったのです。
また、バイエルが設定した南天12星座は、南半球の人々にとって夜空を楽しむ重要な手がかりとなっています。オーストラリアやニュージーランド、南アフリカ、南米の人々は、つる座やみなみじゅうじ座(バイエル以前から知られていた星座ですが、ウラノメトリアで体系化された)を使って季節の変化や方角を知ることができます。
現代ではコンピューターによる精密な星の分類システムが開発されていますが、バイエル符号のシンプルさと直感的な理解のしやすさは、今でも教育現場や一般向けの天文普及活動で重宝されています。星座という文化的な枠組みと科学的な命名法を結びつけたバイエルの功績は、天文学を専門家だけのものではなく、広く人々が親しめる分野にした点でも評価されるべきでしょう。
さらに意外な影響として、新型コロナウイルスの変異株の命名にもバイエル符号の考え方が応用されています。WHO(世界保健機関)はギリシャ文字を使って変異株を呼ぶ方式を採用し、アルファ株、ベータ株、オミクロン株といった名称が使われました。これは特定の国名による差別を避けるためでしたが、星座内で明るい星順にギリシャ文字を振るバイエル符号の発想が、意外な形で現代社会に活用された例と言えます。