ペーテル・ケイセル(Pieter Dirkszoon Keyser、1540年-1596年9月)は、オランダの航海士として南天の星図を作成した歴史的人物です。彼の本名はピーテル・ディルクスゾーン・ケイセルで、ラテン語名ではペトルス・テオドリ(Petrus Theodori)とも呼ばれました。天体観測と東インド諸島への航海以外の彼の生涯についてはほとんど知られていませんが、その功績は現代の天文学に大きな影響を与えています。
参考)ペーテル・ケイセル - Wikipedia
1595年4月2日、ケイセルはコルネリス・デ・ハウトマンの指揮下でオランダ最初の東インド諸島への航海に航海長として参加しました。この歴史的な航海には4隻の艦隊がテセルから出航し、当時としては画期的な探検となりました。ケイセルは地図製作者ペトルス・プランシウスから数学と天文学の教えを受けており、プランシウスから当時ほとんど空白となっていた南天の星図作成について手ほどきを受けていました。
参考)ペーテルケイセルとは - わかりやすく解説 Weblio辞書
この航海は順調ではなく、ポルトガルによる妨害や経験不足から取引はうまくいかず、艦隊は飲料水と補給品を探すためにスンダ海峡を横断しなければなりませんでした。この航海中にケイセルは死亡し、1597年8月14日にハウトマンを含む生き残った81人がテセルに帰還しました。ケイセルの観測結果はハウトマンからプランシウスに渡されたと考えられています。
プランシウス(Petrus Plancius、1552年-1622年5月15日)は、フランドル地方生まれのオランダ共和国の天文学者、地図製作者、聖職者でした。彼は多くの星図や天球儀を制作し、現在も使われている4つの星座を考案した重要人物です。プランシウスはオランダの東インド諸島遠征の推進者であり、ケイセルに南天の星図作成のための天体観測を依頼しました。
参考)ペトルス・プランシウス - Wikipedia
プランシウスはケイセルに偏差を補正できるように観測機器(おそらくアストロラーベ)を与えて航海に送り出しました。ケイセルは翌年ジャワで没しますが、12の新しい星座と135の恒星のデータがハウトマンからオランダ本土のプランシウスのもとにもたらされました。プランシウスは1598年に、これらの星々を加えた新しい天球儀を製作し、南天の星座を世に公開しました。
この協力関係は天文学史上重要な意味を持ちます。当時のヨーロッパでは南半球の星空はほとんど観測されておらず、ケイセルとプランシウスの業績により、初めて体系的な南天の星図が作成されることになりました。プランシウスは1613年にはさらに新しい星座8個を加えた天球儀をアムステルダムで発表しており、そのうちきりん座といっかくじゅう座は現在も使われています。
ペトルス・プランシウスについての詳細情報 - Wikipedia
ケイセルとハウトマンの観測結果からプランシウスが発表した南天の12の新しい星座は、現代になお引き継がれています。これらの星座のほとんどは、16世紀に航海者たちが南半球で遭遇した新しい動物や事物に因んで命名されました。具体的には以下のような星座が含まれています。
動物をモチーフにした星座
その他の星座
これらの星座は大航海時代の船乗りが出会った新大陸の生物や文化を反映しており、当時のヨーロッパ人にとって珍しく印象的なものばかりでした。かじき座のDoradoという名前は「エルドラド(黄金郷)」に由来し、この星座には黄道南極(黄緯-90度)が含まれています。
参考)かじき座の探索1(カジキじゃなくてシイラ、黄道南極)|Noe…
ヨハン・バイエルは1603年に全天恒星図『ウラノメトリア』を製作し、その中で南天の星座をプランシウスらの地球儀から引用しました。バイエルは「ペトルス・テオドリの星図から」と明記しましたが、これらの製作物があまり知られていなかったため、南天の星座を考案したのがバイエルであると誤解されることもありました。現在ではこれらの星座は「バイエル星座」として知られていますが、実際の観測者はケイセルです。
参考)星座 - Wikipedia
バイエルのウラノメトリアは天文学史上重要な文献であり、南天の星座が広く認知されるきっかけとなりました。16世紀末にオランダの航海者ペーテル・ケイセルとフレデリック・デ・ハウトマンが遺した記録を元に、バイエルがこれらの星座を『ウラノメトリア』に描いたことで、世界中の天文学者に知られるようになりました。
参考)File:Dorado (Johann Bayer1603)…
ケイセルとデ・ハウトマンは、南半球での観測により多くの星を各星座に割り当てました。しかしバイエルは彼のチャートにこれらの星座を描いたものの、すべての星にバイエルの呼称(α、β、γなど)を割り当てたわけではありませんでした。それでも『ウラノメトリア』の出版により、ケイセルの観測成果は広く認知され、現代の88星座の基礎となりました。
参考)つる座(星座) href="https://www.hisour.com/ko/data/grus_constellation/" target="_blank">https://www.hisour.com/ko/data/grus_constellation/amp;#8211; HiSoUR href="https://www.hisour.com/ko/data/grus_constellation/" target="_blank">https://www.hisour.com/ko/data/grus_constellation/amp;#8211;…
星座の歴史について詳しく - Wikipedia星座のページ
ケイセルが南天の星図作成に使用した観測技術は、16世紀の航海術と天文学の最先端でした。プランシウスから与えられた観測機器は、おそらくアストロラーベと呼ばれる天体観測用の器具で、これにより偏差を補正しながら正確な天体の位置を測定できました。アストロラーベは中世から近世にかけて使われた天体観測器具で、星の高度や方位を測定するために用いられました。
ケイセルの観測は航海中に行われたため、船の揺れや天候、経度の不確実性など、多くの困難に直面したはずです。それでも彼は135の恒星のデータを記録し、それらを12の星座にまとめることに成功しました。この観測データの精度は当時としては驚異的で、プランシウスがそのまま天球儀に使用できるほどの品質でした。
観測方法としては、夜間に南半球でしか見えない星々の位置を詳細に記録し、その明るさや相対的な位置関係を測定しました。ケイセルは数学と天文学の教育を受けていたため、これらのデータを体系的に整理し、後にプランシウスが星座として構成できる形で記録を残しました。この方法論は後の天文観測の基準となり、南天の星図作成における先駆的な業績として評価されています。
ケイセルの観測成果は現代の88星座のうち12個を占めており、天文学史における重要な貢献です。2世紀のクラウディオス・プトレマイオスが決定した「トレミーの48星座」以来、最も重要な星座の追加となりました。ケイセルの功績を記念して、小惑星(10655)は「Pietkeyser」と命名されています。
国際天文学連合(IAU)は20世紀に88の星座を公式に定め、その境界線も明確にしましたが、ケイセルが作成した12の南天星座はすべてこの公式リストに含まれています。これらの星座は南半球の国々、特にオーストラリアやニュージーランド、南アフリカ、南米諸国の人々にとって身近な星座となっており、文化的にも重要な意味を持っています。
ケイセルの業績は単なる天文学的な発見にとどまらず、大航海時代のヨーロッパと新世界との出会いを象徴するものでもあります。彼が名付けた星座は、当時の航海者たちが経験した驚きや発見を現代に伝える文化遺産となっています。沖縄では夏から冬にかけてこれらの南天星座の一部を観測でき、東京付近でも地平線すれすれに見ることができます。
参考)星座八十八夜 #23 ケイセルの南天星座「インディアン座」 …
現代の天文愛好家にとって、ケイセルの南天星座は南半球への旅行や観測の際の重要な目印となっています。特にインディアン座は9月から10月の21時ごろが観測に適しており、3等星の矢の部分が目印となります。ただし4等級以下の暗い星が多いため、星座の形をたどるのは難しいとされています。
| 星座名 | モチーフ | 観測難易度 | 文化的背景 |
|---|---|---|---|
| 極楽鳥座 | ニューギニアの極楽鳥 | 中 | 大航海時代の珍しい鳥類 |
| カメレオン座 | マダガスカルのカメレオン | 高(暗い星が多い) | 新大陸の爬虫類 |
| インディアン座 | アメリカ先住民 | 高(4等級以下が多い) | 新大陸の文化との出会い |
| かじき座 | シイラ(後にカジキ) | 中 | 黄道南極を含む重要な星座 |
| つる座 | 鶴 | 中(366平方度の広さ) | 南天の大型星座 |
ケイセルの功績は、科学的観測と文化的探求が融合した大航海時代の貴重な遺産として、今後も語り継がれていくでしょう。