かに座は、ギリシア神話の英雄ヘラクレスが怪物ヒュドラと戦った際に登場する大蟹カルキノスが星座になったものです。ヘラクレスには「十二の功業」と呼ばれる試練が課せられており、その第2の課題がレルネーの谷に棲む九つの頭を持つ水蛇ヒュドラの退治でした。ヒュドラは首を切り落としても次々と新しい頭が生えてくる恐ろしい怪物で、口からは毒を吐き続けていたのです。
参考)かに座 - Wikipedia
激闘の最中、大蟹カルキノスがヘラクレスの足を巨大なハサミで挟んで攻撃しました。このカルキノスは、ヘラクレスを憎んでいた女神ヘラが送り込んだ刺客だったとも、ヒュドラの親友として自ら助けに来たとも伝えられています。しかし、ヒュドラとの戦いに集中していたヘラクレスは、カルキノスの攻撃にほとんど気づかず、足を上げて踏み潰してしまいました。あっさりと命を落とした大蟹でしたが、女神ヘラはヘラクレスを苦しめたその勇気を称え、天に上げて星座にしたと言われています。
参考)https://seiza.imagestyle.biz/sinwa/kani.shtml
興味深いことに、ヘラクレスに退治された怪物たちは皆、星座になっています。ヒュドラはうみへび座に、第1の功業で倒したネメアの獅子はしし座になり、春の夜空でかに座の近くに配置されているのです。まるで怪物たちが身を寄せ合っているかのような星座の配置は、神話の物語を天空で再現しているかのようです。
参考)春の怪物トリオ
星座図鑑・かに座の神話
ヘラクレスとヒュドラの戦いの詳細な経緯や、カルキノスの活躍について詳しく解説されています。
かに座には、カルキノスの物語以外にも古代ギリシアに伝わるもう一つの神話があります。それは酒神ディオニューソスとロバにまつわる伝説です。「ギガントマキアー」と呼ばれるオリンポスの神々と巨人族ギガースたちとの大戦において、ディオニューソスとヘーパイストス、サテュロスたちはロバに騎乗して出陣しました。
参考)【蟹座】フーコと読む星座神話 #5 - Εὕρηκα!
戦いの最中、ロバたちは敵が聞いたことのない大きな叫び声を上げ、その鳴き声に驚いたギガースたちは逃げ出したと伝えられています。この活躍を称えて、ディオニューソスはロバを天に引き上げて星にしたのです。かに座のγ星アセルス・ボレアリス(北の小さなロバ)とδ星アセルス・アウストラリス(南の小さなロバ)がそのロバを表しており、2頭のロバに囲まれた中央のプレセペ星団は「飼い葉桶」に見立てられていました。
参考)星座八十八夜 #72 目立たず運の悪い、わき役の星座「かに座…
エラトステネースとヒュギーヌスといった古代の学者たちは、このロバの伝承も記録しており、かに座には二重の神話的背景が存在していることがわかります。ラテン語で「飼い葉桶」を意味する「プレセペ」という名称は、まさにこの伝説に由来しているのです。
参考)かに座とは?見つけ方や見どころ、神話まで
かに座は全体的に暗い星で構成されており、最も明るいβ星アルタルフでさえ3.5等級に過ぎません。星座を形作る主要な恒星は、アクベンス、アルタルフ、アセルス・ボレアリス、アセルス・アウストラリス、デカポダ、メレフの6つです。それぞれの星にはアラビア語やラテン語に由来する興味深い名前が付けられています。
参考)かに座の星の名前の由来とは?五つの恒星が構成する逆Y字型の星…
α星アクベンスは、アラビア語で「爪」を意味する「al zubanāh(アル・ズバナ)」に由来し、カニのハサミの先端部分を表しています。β星アルタルフは「端」や「終わり」を意味する「aṭ-ṭarf(アッターフ)」から名付けられ、カニの足先を示す星です。γ星アセルス・ボレアリスとδ星アセルス・アウストラリスは、それぞれラテン語で「北方のロバ」「南方のロバ」を意味し、前述の神話に登場するロバを象徴しています。
参考)https://www.7key.jp/data/constellation/cnc.html
ι星デカポダは、ラテン語でカニやエビなどの甲殻類を意味する言葉がそのまま名前になっており、ε星メレフはアラビア語で「ストール」や「マフラー」を意味する「al ma'laf(アル・マラフ)」に由来します。これらの星々を線で結ぶと、逆Y字型の形状が現れ、カニの甲羅と足の姿が浮かび上がります。
参考)かに座(Cancer)
かに座を構成する星々には1等星や2等星のような明るい星がなく、全体的に地味な印象を与えますが、それぞれの星の名前には古代の人々が星座に込めた想像力と文化的背景が反映されているのです。
かに座の最大の見どころは、カニの甲羅の中心部に位置するプレセペ星団(M44、NGC2632)です。この散開星団は肉眼でもボーッとした青白い光として確認でき、双眼鏡を使えば約80個の星々が集まっている様子を観察できます。プレセペ星団は地球から約510光年の距離にあり、大きさは約13光年、見かけの等級は3.7等級です。
参考)かに座 - 新興出版社啓林館・文研出版 万博プロジェクト
ガリレオ・ガリレイが望遠鏡でプレセペ星団を観測し「いくつもの星々の集まり」と見抜くまで、この青白い光は「不気味な存在」として扱われていました。古代ギリシアでは「天から降りてきて人々の体に宿る魂の通り道」と信じられ、中国では亡くなった人がこの世に残した妖気や魂と考えられていたのです。このように、プレセペ星団は古代から人々の想像力をかき立て、様々な文化で神秘的な意味を持つ天体として認識されてきました。
プレセペ星団の見つけ方は比較的簡単です。かに座のδ星、γ星、η星、θ星の4つの星で作る四角形の中に位置しており、これらの星は全て暗いため、プレセペ星団の方が先に目につくことも珍しくありません。春の夜空で、ふたご座の1等星ポルックスとしし座の1等星レグルスの中間あたりを探すと、かに座とプレセペ星団を発見できます。ファインダーを使えば、赤やオレンジ色の星が70個ほど集まっている美しい姿を確認できるでしょう。
参考)https://www.astroarts.co.jp/alacarte/messier/html/m44-j.shtml
AstroArts - メシエ天体ガイド:M44
プレセペ星団の詳細な観測データと見つけ方について、天文専門サイトで解説されています。
かに座は黄道十二星座の一つであり、占星術では巨蟹宮(きょかいきゅう)として6月22日から7月22日までの期間を司る星座とされています。しかし興味深いことに、実際にかに座が夜空に姿を現すのは2月から4月にかけてで、特に3月下旬から4月の夜8時頃が観測に適した時期です。これは星座占いで使われる誕生日の期間と、実際に星座が見える時期にずれがあることを示しています。
参考)https://www3.nagasaki-joshi.ac.jp/~web06la/05/newpage53.html
黄道十二星座とは、太陽が1年かけて天球上を移動する道筋である黄道上に位置する12の星座のことです。かに座は古代バビロニアの時代から認識されており、メソポタミアでは「カメ」または「カニ」を意味する「クシュ」という名で呼ばれていました。紀元2世紀の天文学者プトレマイオスによって正式に設定され、トレミー48星座の一つとして記録されました。
占星術においてかに座は、感情や家族、思い出といった「目に見えない絆」を大切にする性質を象徴するとされています。2025年6月10日には幸運の星である木星がかに座に入り、6月25日にはかに座で新月が起こるなど、占星術的に重要な天体イベントも予定されています。かに座の人々にとっては、人との繋がりや心温まる場面を多く経験できる特別な時期になると言われているのです。
参考)蟹座(かに座)の6月の運勢|全体運・仕事運・新月と満月にする…
かに座は春の星座として知られ、2月から4月にかけて観測できますが、寒さのゆるむ4月の夜8時頃が最も観測に適しています。かに座自体は暗い星で構成されているため、まず周囲の明るい星座を目印にするのが効果的です。西の空に輝く「しし座」と「ふたご座」を探しましょう。しし座の1等星レグルスとふたご座の1等星ポルックスを直線で結んだ中間あたりに、かに座が位置しています。
参考)https://www.moonsystem.jp/p/cons/kani.htm
かに座の観測には、周囲に街灯の少ない暗い場所が適しています。比較的明るい4つの星が四角形を形作り、カニの甲羅を表現しており、その中心部でプレセペ星団が青白く輝いています。双眼鏡(倍率7倍程度)を使用すれば、プレセペ星団を構成する多数の星々を個別に確認でき、さまざまな色をした星の集まりを楽しむことができます。
かに座の面積は506平方度で、全天88星座の中で31位の大きさです。肉眼で見える星の数は約97個とされていますが、4等星や5等星ばかりで構成されているため、存在感は薄い星座です。しかし、この控えめな輝きこそが、ヘラクレスに踏みつぶされた哀れな蟹カルキノスの物語を思い起こさせ、深海を思わせる暗い夜空にひっそりと隠れ住むように輝き続けるかに座の魅力となっているのです。
かに座とは?見つけ方や見どころ、神話まで
かに座の見つけ方について、季節ごとの観測時刻や周囲の星座との位置関係を詳しく紹介しています。