モラクスは、17世紀の魔術書『ゴエティア』に記されたソロモン72柱の悪魔の一柱です。序列21位に位置し、地獄の伯爵または総裁として30から36の悪魔軍団を率いる強大な存在とされています。「マラクス(Marax)」「フォラクス(Forax)」「フォルファクス(Forfax)」など複数の呼び名が存在し、古代アンモン人の神モレクをモデルとしていると考えられています。
その姿は牡牛の頭を持つ人間として描かれ、多くの図像では玉座に座った中性的な王の姿で表現されます。牛頭という特異な外見は、古代からの牛信仰と知識の象徴性を融合させたもので、哲学者や学者を彷彿とさせる高貴な姿勢を保っています。時には人間の醜い顔を持つ牡牛の姿でも描かれることがあり、その多様な表現は各時代の魔術師たちの解釈を反映しています。
モラクスの本質は「知識の伝授者」にあります。特に天文学、占星術、哲学、科学といった学問分野に精通し、召喚者に秘教的な知恵を授けることで知られています。単なる学問的理解にとどまらず、宇宙の深遠な真理や人生の本質を明らかにする力を持つとされ、中世の魔術師たちから高く評価されていました。
モラクスの最も顕著な能力は、天文学と教養学における深遠な知識の提供です。召喚者が接触することで、未知の宇宙的真理や天体観測に関する洞察を得られるとされています。この能力は中世ヨーロッパにおいて特に重視され、占星術師や天文学者がモラクスの知恵を求めたとされる記録が残っています。
教養学においては、文法、算術、音楽など基礎的な学問分野から、より高度な哲学的思考まで幅広い領域をカバーします。モラクスは召喚者を「熟達」させる力を持つとされ、単に情報を与えるのではなく、深い理解と実践的な技能を身につけさせることができると信じられていました。この特性は、他の悪魔とモラクスを区別する重要な要素となっています。
天体観測や占星術に関する魔術的技術においても、モラクスは重要な助言者となります。『レメゲトン』などの古代グリモワールには、モラクスが星々の動きや天体の配置が持つ意味を解き明かし、召喚者の儀式や呪文に必要な正確なタイミングを教える能力について記述されています。
モラクスのもう一つの重要な専門領域は、薬草と宝石が持つ秘密の力に関する知識です。中世の錬金術や薬学において、植物や鉱物の持つ神秘的な特性は重要な研究対象でした。モラクスはこれらの物質が持つ治癒力、魔術的効能、そして変容の力について詳細に教えることができるとされています。
薬草学の分野では、各植物の薬効成分や採取時期、調合方法などの実践的知識から、植物が持つ象徴的・魔術的意味まで幅広い情報を提供します。『ゴエティア』の記述によれば、モラクスは召喚者に「石や植物の秘密」を明かし、それらを用いた治療や魔術の実践方法を指導したとされています。
宝石に関しては、各種の貴石や鉱物が持つエネルギー的特性、保護作用、そして占術における使用法などを教授します。中世の魔術師たちは、宝石を護符や魔除けとして使用する際にモラクスの知恵を求め、最も効果的な石の選択と活用法について助言を受けたと伝えられています。この知識は物質的な富の獲得にも関連しており、モラクスは時として財宝の在処を示すこともあったとされます。
ソロモン王が使役した72の悪魔について詳しく記された『ゴエティア』の全体像と歴史的背景
モラクスの特筆すべき能力の一つは、召喚者に「有能な使い魔」を授けることです。使い魔とは魔術師に仕える霊的存在であり、日常的な魔術作業や情報収集、保護などさまざまな役割を果たします。モラクスから与えられる使い魔は特に忠実で能力が高いとされ、長期的な魔術実践において強力な助力者となるとされています。
召喚の方法については、『ゴエティア』には魔法円の描き方、必要な印章(シジル)のデザイン、そして適切な呪文が詳細に記されています。モラクスの印章は特定の幾何学的パターンを持ち、これを正確に作成することが召喚の成功に不可欠とされました。召喚儀式は通常、特定の惑星や星座の配置が適切な時期に行われ、香や供物なども重要な要素となります。
興味深いことに、モラクスは比較的「誠実」な悪魔として知られており、契約を守り、約束した知識や使い魔を確実に提供するとされています。他の悪魔の中には召喚者を欺く傾向があるものもいますが、モラクスは学問と知識に対する真摯な態度を持つため、魔術師たちからの信頼が厚かったと伝えられています。ただし、どの悪魔との契約においても細心の注意と適切な防護措置が必要であることは言うまでもありません。
モラクスの起源を辿ると、古代中東の神モレク(Molech)との深い関連性が浮かび上がります。モレクは旧約聖書の「列王記上」にも言及されるアンモン人の神で、牡牛の頭を持つブロンズ像で表現され、時には子供の生贄を要求する恐ろしい神として描かれました。ユダヤ教やキリスト教の文脈では、モレクは異教の邪神として非難され、これが後に悪魔学におけるモラクスの原型となったとされています。
興味深いのは、モラクスとモレクでは「上下が逆転」している点です。モレクは牛の頭に人間の体として描かれることが多いのに対し、モラクスは人間の顔を持つ牛、あるいは牛の頭を持つ人間として表現されます。この逆転現象は、神から悪魔へと格下げされる過程での象徴的変容を示していると考えられています。
また、ギリシャ神話のミノタウロス(牛頭人身の怪物)との関連性も指摘されることがあります。これら三者はいずれも牛と人間の混合体として描かれ、古代から続く牛信仰の系譜を示しています。牛は多くの古代文明において力、豊穣、そして知恵の象徴でしたが、キリスト教の拡大とともに異教の象徴は悪魔化され、その結果モラクスのような存在が生まれたのです。この歴史的変遷は、宗教的パワーバランスの変化が神話や悪魔学にどのように影響を与えたかを示す典型的な例と言えるでしょう。
現代においてモラクスは、様々なゲームや創作作品に登場し、新たな解釈を与えられています。最も著名な例の一つが、中国のmiHoYoが開発したオープンワールドRPG『原神』です。作中では「岩神モラクス」として登場し、岩と契約の神として璃月という国を統治する七神の一柱として描かれています。ゲーム内では「鍾離」という人間形態で活動し、契約と秩序を重んじる威厳ある神として深い人気を博しています。
『メギド72』は、ソロモン72柱をモチーフにしたスマートフォンゲームで、モラクスは追放メギドの一人として本編初期から登場します。プレイヤーがソロモン王の子孫となり、72柱の悪魔を率いて戦うという設定で、各悪魔に独自のストーリーとキャラクター性が与えられています。モラクスも例外ではなく、専用のストーリーチャプターが用意され、その背景や思想が深く掘り下げられています。
『真・女神転生』シリーズでは、モラクスは「魔王」種族の悪魔として登場し、特に『ストレンジジャーニー』で初登場したバイソンの頭部を持つ悪魔として描かれました。このシリーズでは過去作に登場した「モロク」と同一視されることもあり、複数の作品を通じて様々な解釈がなされています。悪魔合体システムにより、プレイヤーは仲魔として使役することも可能です。
さらに『Fate/Grand Order』では、ソロモン72柱が「魔神柱」として登場し、人理焼却という壮大な陰謀の中核を担います。各魔神柱には独自の役割と物語が与えられており、プレイヤーはこれらと対峙することになります。これらの作品群は、古代の悪魔学を現代的に再解釈し、新しい魅力を付加することで、ソロモン72柱への興味を広く喚起しています。
モラクスの詳細な図像解説と魔術書における役割について、古代グリモワールの記述を基にした専門的な分析