桑田真澄は2006年限りで巨人を退団し、2007年にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んでメジャー挑戦を開始した。当時38歳という年齢でのスタートは、多くの野球ファンを驚かせた。
参考)桑田真澄 - Wikipedia
スプリングキャンプでは招待選手として参加し、オープン戦5試合に登板して1勝0敗、防御率1.80という好成績を残した。しかし開幕直前のオープン戦で球審と激しく衝突し、右足首を捻挫する怪我を負ってしまう。通常であれば解雇されてもおかしくない状況だったが、パイレーツは桑田にリハビリと再起の猶予を与えた。
参考)桑田、メジャー昇格ならず引退
メジャー通算成績は19試合登板、0勝1敗3ホールド、防御率9.43、投球回21イニング、奪三振12という数字に終わった。数字だけを見れば厳しい内容だが、39歳という年齢と挑戦の経緯を考えれば、メジャーのマウンドに立てたこと自体が偉業と言える。
参考)桑田真澄 通算成績 - プロ野球記録
桑田は2007年6月10日、ニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初登板を果たした。このとき39歳70日での初登板は、当時日本人選手として史上最高齢の記録となった。メジャー全体でも第二次世界大戦以降ではサチェル・ペイジの42歳、ディオメデス・オリーボの41歳に次ぐ第3位の年長記録だった。
参考)Vol.30 桑田真澄/最後の力を振り絞った挑戦【MLBの挑…
3Aインディアナポリス・インディアンズでは、6月2日に公式戦初登板を果たすと3試合連続無失点の好投を続け、メジャー昇格のチャンスを掴んだ。移動中の空港でメジャー昇格を知らされた桑田は、背番号18(巨人時代と同じ番号)を着けて夢のマウンドに立った。
参考)https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detailamp;id=097-20190610-13
初登板となったヤンキース戦では、6対8とリードされた5回に3番手として登板。2回を投げて1安打2四球2失点という内容で、当時ヤンキースに所属していた松井秀喜とも初めて公式戦で対戦し、フォアボールという結果だった。youtube
参考)https://www.yamaguchi.net/archives/005010.html
桑田真澄とヤンキースの松井秀喜との対決は、多くの野球ファンが注目した場面だった。メジャーデビュー戦で実現したこの対決は、巨人で共に戦ってきた2人が初めて公式戦で顔を合わせる歴史的な瞬間となった。桑田は「やりづらい」と語っていたが、勝負の世界として全力で立ち向かった。youtube
パイレーツでの登板は主に中継ぎとしての起用だった。21イニングを投げて被安打25、与四球15、奪三振12という数字で、特に制球面での課題が表面化した。8月13日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では7回から登板したが、2ランを含む4長打を浴びて1回5失点という大炎上を喫した。
参考)桑田が39歳でメジャー挑戦、福留は鮮烈デビュー…各球団で最初…
それでも3ホールドを記録し、中継ぎとしての役割を果たそうと必死に戦った。8月14日に戦力外通告を受けたとき、桑田は「もう十分。何も悔いなしです」と晴れやかな表情で語った。全力を尽くした充足感が、その言葉からは感じられた。
参考)オールドルーキーたちの挑戦
桑田真澄の野球人生を語る上で欠かせないのが、PL学園時代の清原和博とのKKコンビだ。1983年から1986年まで在籍し、桑田はエース、清原は4番打者として5季連続で甲子園に出場した。優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回という輝かしい成績を残し、全国の高校野球ファンを魅了した。
参考)https://sp.baseball.findfriends.jp/player/19680001/
桑田は甲子園通算20勝(戦後最多)を記録し、打者としても6本塁打を放った。高校卒業後は早稲田大学への進学を希望していたが、1985年のドラフトで巨人から1位指名を受けると一転して入団を決断した。
参考)桑田真澄/最後の力を振り絞った挑戦【MLBの挑戦者たち〜メジ…
巨人では21年間プレーし、通算173勝141敗14セーブ、防御率3.55という成績を残した。1987年には2年目で15勝を挙げて沢村賞を受賞し、1994年にはMVPに輝いた。しかし1995年に右肘靭帯を損傷し手術を受けるなど、現役生活は苦難の連続だった。
参考)【独占】桑田真澄が語る「試練」の乗り越え方 - METHOD…
2006年限りで巨人を退団後、38歳という年齢でメジャー挑戦を決断したことは、桑田の「夢を追い続ける姿勢」を象徴する出来事となった。
参考)桑田引退決断「燃え尽きた。悔いない」 - MLBニュース :…
桑田真澄は1968年4月1日生まれの牡羊座だ。占星術の観点から見ると、太陽と土星が牡羊座の5ハウスに揃っている配置は「勝負の場で自分を鍛え上げる星」を持つ人物の典型と言える。情熱と責任、瞬発力と継続力を同時に備えた性格は、39歳でのメジャー挑戦という困難な道を選んだ理由を説明している。
参考)桑田真澄(ピッツバーグ・パイレーツ)の個人成績-プロ野球通算…
月と火星が牡牛座にある配置は、心身ともに粘り強さと回復力を備えた人物であることを示す。スロースターターでも安定したリズムを保ち、高いパフォーマンスを長く維持できるタイプだ。これは度重なる怪我からの復活や、38歳でのメジャー挑戦決断につながる資質と言える。
参考)桑田真澄さんのホロスコープ
MCが獅子座でルーラー太陽が牡羊座の5ハウスにあることは、社会的に「スター性」や「パフォーマンス性」が評価されやすい配置だ。舞台に立つこと、注目されることへの耐性と自負が強く、KKコンビとして甲子園で輝いた高校時代から一貫したキャリアの特徴となっている。
海王星がさそり座の1ハウスにあることで、見た目の印象とは裏腹に非常に繊細な感受性を持っていることも特徴だ。「やるか、やらないかですよ、人生は」という桑田の言葉には、こうした内面の葛藤を乗り越えた決断の重みが感じられる。
参考)「やるか、やらないかですよ、人生は」桑田真澄 - 名言、格言…
2008年のスプリングキャンプで桑田は再びパイレーツの招待選手として参加した。しかし3月26日、ハンティントンGMから「若手にチャンスを与えたいので、メジャーでは投げるチャンスはない」と通告を受けた。昇格のチャンスは1%もないという状況の中で、張りつめていた気持ちが切れ、数日間悩み抜いた末に引退を決断した。
参考)桑田真澄お疲れ様 次は野球界の吉田松陰だ!
試合後に表明された引退会見で、桑田は「燃え尽きた。悔いない」と語った。23年間のプロ野球人生に終止符を打つ決断だった。メジャーでの成績は決して華々しいものではなかったが、「結果を残せなかったがメジャーで挑戦できた」という事実そのものが、桑田にとっての勝利だった。
参考)https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detailamp;id=097-20210903-10
引退後の桑田は、2009年に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に高卒の学歴で合格し、2010年に修士課程を修了した。さらに2013年から2年間は東京大学野球部の特別コーチを務め、2014年からは東京大学大学院総合文化研究科に進学するなど、学びへの挑戦を続けている。
参考)「高卒で大学院受かるのか」 桑田合格で早大に質問相次ぐ: J…
2021年からは古巣の巨人で投手チーフコーチ、ファーム総監督、二軍監督として指導者の道を歩んでいる。「格好悪くていい。格好悪いとは人の評価だから」という桑田の言葉は、自分らしい人生を全力で生きる姿勢を体現している。
メジャー挑戦で残した19登板、0勝1敗という数字は決して輝かしいものではないが、39歳という年齢で夢に挑戦し続けた姿勢こそが、多くの人々に勇気を与える結果となった。
参考リンク:桑田真澄の登板記録とプロフィールの詳細
桑田真澄 MLB成績詳細 - TSP SPORTS
メジャーリーグでの全登板記録と詳細な成績データが確認できる貴重な資料。
参考リンク:桑田真澄のメジャー初登板の詳細
桑田真澄が初めてメジャーのマウンドに(2007年6月10日) - 週刊ベースボールONLINE
39歳でのメジャーデビューの詳しい状況と当時の記録について解説。
参考リンク:桑田真澄の挑戦精神と人生観
【独占】桑田真澄が語る「試練」の乗り越え方 - METHOD
現役時代から指導者になるまでの試練と挑戦をキーワードに語ったインタビュー記事。